龍野藩脇坂安政が醤油業の育成に力を入れ、龍野での醤油醸造は殆どがうすくち醤油に切り替わりました。
うすくち醤油は京都の精進料理や懐石料理に用いられるうち更に洗練されたものになり、甘酒をもろみに加えることが工夫され、現在のうすくち醤油の基礎が完成しました。
脇坂安宅が京都所司代となり、京、大阪への販路拡大に尽力した結果、現在の近畿を中心としたうすくち食文化圏を形成。素材の持ち味を生かし、見た目の美しさをも尊重する関西料理の特徴は、こうして発展していったのです。
第二次世界大戦後、自由経済に戻り、龍野でうすくち醤油の醸造が再開されました。やがて、生活の変化に伴い、食生活にうす味嗜好の傾向が生まれ、関西を中心にうすくち醤油の需要が拡大していきました。